腹の調子がすごい。
昼食は春雨ともやしと緑野菜のオンパレード。生野菜もそれなりに食べた。雑炊も食べた。
今日の午前中は現代文第一問いちだいと東北大レベル数学2つ。あとはエネルギーなくて死んでた。貧血で倒れもした。
そういえば朝にメガネなくした。
これから簡易書留やってメガネ探して、体調に従って生きる
時間がもったいないのはもはや前提条件。。

不調

まあ当然のように毎日書くことはできなかったわけで。

前回更新日以来調子が悪い。消化疲れ。あの量で消化疲れを引きずるなんて衰えを感じる。老化。おかげで学校でやらせてもらってる勉強以外はまったく手につかない。ぼーっとする。私大の出願もなかなかに時間がかかる。今日バスとか予約して書類まとめた。明日以降新幹線を取ってこなければならぬ。にしてもこのままではどこの大学にもうからない。僕のコンディションはどこへ行ってしまったのだろうか。こればかりは気合でどうにもならない。が、勉強は早く続けるべきである。近況を残しておきたかったのと、世界史の教科書読みすぎて日本語のインプットに飽きたのでアウトプットをしてみようと思った次第である。英語でもいい。

I am so exhausted not by studying for the entrance exam but by something else that I have studied nothing since the day before yesterday. I hate this state of me. I want to know why I am so tired. Tell me!!

 

英語力のなさが露呈。でもなんかすらすらかけた。何なら日本語よりすらすらかけた。

第二外国語はイタリア語がいい。発音楽そうだし、イタリア旅行は陽気な人と沢山知り合える気がする。(脈絡のNASA

やりたいことを書くのを忘れてた

ここは思考足跡置き場ではなかったか。

僕は、個々人に合った学習方法を判別して、必要な知識や能力をつけていけるような学習ソフトウェアを作りたい。なるべく、がり勉を増やさずに、効率的に学び、自分の可能性や適性に早期に気づくことでより個々人に豊かな人生を送ってもらえるようになるような方向で。そのためには、プログラムを組む力や、ソフトウェアやハードウェアの枠組み、特質、適性についての知識、想像力、教育学を志したいような友達、教授学の知識などなどが必要になる。それらのものを手にして、情報のキャッチボールと人間の知識蓄積がより円滑に進む、面白い社会を作るために、僕は大学に行く。そして、なんなら、大学に行かないまでも、今からも、頑張らねばならない。でも、まず目下に控えているのは大学受験。自分にあった学習方法を意識しながらあと40日ほどを過ごす。

いまじねいちょんがだいじなのです

ありがとうセンター試験、数学での大失敗。将来やりたいことへの夢想と言語化が脳の働きを活性化・複雑化させるのだと気づけた。昨日は矜持を失ってから、失敗の原因を探り、SFC小論文の過去問を見て、自分のしたいことを考えているうちに、想像力と想起力がなくなっているのに気付いた。誠に由々しき事態である。思えば、高2あたりまでは勉強をしなきゃいけないと思いつつも結局は家に帰ってネットサーフィンしたり、部活・委員会のことを考えるのが常だった。そんな一貫性のない自分を嫌っていたが、それはそれで自分の能力にとって大切な能力だったようだ。そんなの知らなかったよ。ネットサーフィンするだけでも頭は回転すると思うけど、具現化する能力をつけるという意味でも、こうやって文章化をしたらいいのだと思う。どれだけ稚拙な文章でも構わない。意味が通って、かつ自分が納得していれば文法が崩壊していてもかまわない。想起→文字化のスピードを上げる。これはそのまま数英小論文の対策にもつながるだろう。だから、なるべくここで文章を書き散らしていきたいなと思う。自分でも、この文章はとても読みづらいだろうなと思う。気にかけても疲れないくらいに文章執筆に慣れてきたら、自分で訂正をしていきたいなと思う。そういえば、自分は昔から文章の意味が分からないといわれていた。自分でもわからない。箇条書きは偉大だ。。そうはいっても、2月に小論文の試験を受ける都合上、文章らしい文章を無意識に生産できるようにならねばならない。それも、自分の言葉で。自分の足跡や、空気感を遺していくためにも、ブログは書いていきたい。思い立った時に。何文字でも、書きたい。毎日やれたら理想。

というわけで今日はセンター試験の自己採点日だったわけです。クラスメイトによってテンションが様々だった。僕はもう昨日、反省とこれからの展望をも済ませたので淡々と数学をやっていた。数学、思いつくことはできても計算ミスが頻繁に起こりスピードが遅い。ウケる。数学はもともと好きだから、ガンガン意の赴くままにやっていって、本質のほうまで迫っていって、私大受験及び二次試験で無双できればいいなと思う次第。

明日からは二次対策特別編成授業が展開。怒涛の社会論述ラッシュも開始。実際、時間が足りない(やることが多い)。ならこんなブログ書いてる暇ないだろ、っていう話なんですけど、これはこれで想起力と文章力がつくから、数学と小論文のために必要なのです。タイピングもなかなかに頭動くしね。数学はガンガンやっていきたい。英語も、今の課題はスピードと聞き取りを補うための「慣れ」だから、ガンガン消化していきたい(Z会マジで何もやってない)。現代文は、そこそこに解いてないと回答作成能力及び根拠拾い能力が落ちる。みんなと差をつけないために、やる必要がある。古典もないがしろにはできやしない。優先順位は落ちるけど。世界史と地理、奥が深い。。センターとは本当に別物。格が違う。洞察力を要する。これまで、頭ではわかっていても、心ではどこか、世界史は実在の人物や出来事について語られていることではなく、想像上のお話だと思っている部分があった。現実味をもって、教訓を史実から学ぶ姿勢を持てなかった。でも、そうでもないのだ。私たちは世界史を眺め、細かく観察することで多くのことを学べ、思い描くことができるのだ。そのようなことを、ここ2週間ほどで少しずつ思うようになってきた。まぁ、遅い。しかし、せっかくここまできたのなら、まず史実を一度全部覚えたうえで、過去問や教科書を吟味して、ダイナミズムを近くしていきたい。それさえ手に入れてしまえばあとはこちらのものだろう(確りと書き表せるかはまた別の問題であり、その対策が別個に必要になってしまうわけだけれど)。地理、、は、、センターでついぞ90点をとれなかった。「できない」という意識がものすごい。つまり、まだ勘を手に入れられていない。そこからのスタートになってしまうな、、、。明日から始まるけどな。。。逃げないで、向き合おう。そして今週末には模試が待っている。

教科ごとの取り組む姿勢としては

数学:大量演習

英語:筆記・リスニング共に大量演習

現代文:2日に一回

世界史:【過去問と知識獲得に伴うダイナミズム知覚】を目指す

地理:,,,まず勘を身に着けるところから(過去問演習)

古典:数英が解決したのちに本格対策

小論文:2日に一回(?)

 

自分の思いを言語化する、大学へ向かう気持ちを明確化するための活動としては、このブログの書き散らしと、小論文対策を挙げたい。小論文対策やりすぎな気もするけど、数学の一環としてとらえよう。

時間配分が難しい。

どうせ少しは遊ぶだろうし、運動する時間も欲しいだろう。少なく見積もって、一日に自在に勉強のために使える時間は4時間(さすがに少なく見積もりすぎか)とすると、、、何もできないね?

帰宅したら30分くらいはパソコンに触れていたいよ。現代文/小論文対策はそれから40分ほど取ろう。

あとは、、わからないな。とりあえず今日のこれからの予定を立てて、明日を過ごしてみて軌道修正してみよう。今日は数学をやっていた。まずこれから現代文を40分やろう。その後、英語秋期テストゼミをやって、世界史の過去問を眺めて、解くイメージを持つ。地理には手を出せなさそうだ。悔しい。

ところで、今、眠くなれそうで眠くない。いっそ昼寝したいのに(もう昼寝とかいう時間でもないけど)。昼食は400gの麺と爆盛ライスだった。体に栄養がいきわたりそうな感じがしてとてもよかった。まだ行き渡ったことを実感してはいないけど。少しぽーっとする。

 

堕落論

坂口安吾堕落論を読んだ(「堕落論」および「続堕落論」、文庫本で32ページほど。そういえば作者が死んでから60年ほど経ってるから青空文庫にありますね)。僕の理解能力では全部を掬えなかったと思うけれど、それでも強く印象に残った。人間(というより日本人)の行動原理と共存の仕方について考えるきっかけになった。

タイトルに「堕落」とついていて、このごろこの高3と同じようにいろいろ考えては病んでいた僕は「堕落」に共感のようなものを覚えて手に取った。しかし中身は、一般的にいわれる「堕落」について語っているものではなかった(と思う)。

この論の主張は「日本の歴史は日本人の根底にある<集団心理>が作ってきた」というものだと読んだ。それ自体は目新しいものではないかもしれないけれど、第二次世界大戦の時の日本について「結局はこういうことだろ」っていう主張を比較的終戦のすぐあとに発表したのだと思うとより深く自分に突き刺さってきた。人の気持ちって不思議だなぁと思ったことがある人は読んでみると面白いと思うかもしれない。(読んでもわけわからない場合も多いと思うし、そんなの当然だろって思う人も多いと思うから読まなくても別にいいとは思う)

僕が特にハッとした部分は以下の文章。

 藤原氏や将軍家にとって何がために天皇制が必要であったか。何が故に彼等自身が最高の主権を握らなかったか。それは彼等が自ら主権を握るよりも、天皇制が都合がよかったからで、彼らは自分自身が天下に号令するよりも、天皇に号令させ、自分が先ずまっさきにその号令に服従してみせることによって号令が更によく行きわたることを心得ていた。その天皇の号令とは天皇自身の意志ではなく、実は彼等の号令であり、彼等は自分の欲するところを天皇の名に於て行い、自分が先ずまっさきにその号令に服してみせる、自分が天皇に服す範を人民に押しつけることによって、自分の号令を押しつけるのである。

坂口安吾 続堕落論

 そんな昔から集団心理が見事に利用されていたのか、と驚いた(そして摂関政治は中学の時から知ってたのにそういうからくりに気付かなかった自分が恥ずかしくなった)。

世の中をもっと知りたいなぁと思った。

 

読みたい方はこちらから

坂口安吾 堕落論

坂口安吾 続堕落論

 

 

晴天。

今日は家から一歩も出ていないしビタミンDが生成されるだろうから外に出て陽を浴びたいと思ったが、やめた。近頃の自分は時間的自由にかまけて自分の欲に従順すぎる。少しの不自由さえなく生きていたら、いざ高い壁と対峙した時に精神が崩壊してしまうだろうし、「必要は発明の母」というように、日々の生活において自己の向上を図る心がなくなってしまう。それではわずかな健康を得るよりも長期的に見たら自分の人生にとって却ってマイナスである。自分を律するという意味で、多少不健康なほうが人生を満足して過ごせるのかもしれない。