ああ。

大受験2本目前夜。今日の夕方から夜にかけていただいた食事は

 

そば2人前

おにぎり

やきそば

野菜たっぷりちゃんぽん

 

麺ばっか。胃腸の調子はよろしくなくて今日の朝食は野菜おでんのみ、昼食はカロリーメイト2本。しかし経験上炭水化物を多量摂取すれば胃腸の不調を吹き飛ばせるというのがあったので、食べまくった。でも胃腸薬は飲んだ(第一三共胃腸薬)。

ちょっとお腹が苦しい。これが吉と出るか凶と出るか。

 

武蔵小杉のショッピングホール内にある川崎市立図書館にも行った。仙台市図書館や宮城県図書館とはだいぶ違う。歴史関連の本がたくさん、計算科学分野も学問の基礎の部分が書いてあるものから応用まであった(僕にそんなことを語る資格があるのかは置いておく)。閲覧席も、宮城だったら(建前上)勉強してはならないことになってるのに、川崎では禁止されていなかった。それどころか小中高生優先席があった。驚愕。高卒優先席もあった。おしなべて座っているみなさんはペンを持っているかキーボードを打っていた。(「おしなべて」は言ってみたかっただけ。誤用だったら申し訳ないです)宮城だったら半分くらい歴史書や地図書やよくわからない本を読んでいるおじいちゃんだぜ。(もちろん、それが悪いと言いたいわけではない)違いを感じた。

グランドツリーにも行った。5階のリンガーハットに野菜を摂取しに行ったわけだが、5階は子連れ向けフロアのようで、ちびっこが遊べるスペースには大きな大きなモニターがあって、今まさに遊んでいる子供達を映した画面に像を登場させたり、水中にいるような効果をかけていた。驚愕(二度目)。そういえば何年か前にテレビの特集で見たことがあった気がする。やべぇ。首都圏、すげぇ。もちろんそのスペースには未就学児世代が所狭しとひしめき、フードコードは9割の親子(子供は大体が未就学児、まれに小学生)と1割の高校生グループで埋まっていた。その中で偶々空いていた一席を見つけて滑り込んだ僕はなんだか肩身が狭くなった。こんな寂しげなおじさんがこんなとこにきちゃってすみません。・・・にしても、こんなところにいては全く少子高齢化を感じない。おじいちゃんどこにいるねん。ちびっこ多すぎやねん。(高校地理で習った首都圏のデータで、首都圏にもそれなりに高齢者がいるのは知っているし、子供ばっかなのはそういう風に設計されたショッピングモールだからなのだろうが)仙台でこんなモールを作ったところでちびっこがひしめき合うことになるだろうか(反語)。

とにかく、首都圏と地方の違いを感じた数時間であった。

 

 

なぜこんな駄文を垂れ流しているのか疑問にお思いだろう。ああ。

実は昨日から文章が紡げない。紡げないだけでなく、日本語が読めない(きっと13日の英語3本目でフリーズしてしまったのも言語処理ができなくなったからだと思われる)。理由は知らない。けど、英語ばっか読みすぎて日本語の文章にここのところ触れていなかったのは間違いなく、日本語の文構造を無意識で読解することに難を感じるようになってきてはいた。そこを改善すれば原因不明の不調とはいえ改善するはずではあった。そこで頑張って小論文向けに昨夜から過去問に当たっていたのだ。しかし、睡眠不足のせいもあってか、今日の昼になっても全く文章が入ってこない。経済系の専門的な言い回しが登場する難解な文章でなければスッと入ってくるのだろうが、そもそも以前の自分ならそういった文章でもすぐに咀嚼していたのだ。新書を読む機会があれば必ず没頭するくらいには知識欲はあった。洞察力は無くとも。それなのに文章を読めなくなっているとは小論文対策以前の問題ではないか。そこでこの駄文の垂れ流しである。明日問われるのは文章の読解と要約、扱われたテーマに対する自分の意見の論述だ。文章を読むだけでは読解能力が改善しないなら、まず文章を作るセンスを取り戻し、その過程で日本語の勘を取り戻そうではないか。駄文であっても、自分の頭に浮かんだことを日本語の文構造に変換して書きまくっていれば、とりあえずスピードがあってまぁまぁな構造の文章は書けるだろう。複雑な構造を読み解けるかどうかは明日起きてからの頭の体操とコンディションにかかっている。こんな駄文の垂れ流しでも、それなりに文章を書くセンスが戻ってきているのは感じる。今日書く度に推敲をしていては書くことに恐れをなしてしまいモチベーションが下がるのと、センスを取り戻すまでのスピードが落ちてしまうので推敲はしていない。要らない文節や同内容の繰り返しがこれまでに何度も登場していることだろうと想像する。読者にとっては文章の繋がりが見えないようなことがあっただろうことも想像できる。これらは看過して良い問題ではないし、まだこれから書くことでそこにも気を配っていきたいが、とりあえず今は思ったことを垂れ流している。その証拠に、上記三文はこの記事の構成になんら必要がないはずである(言ってしまえばこの記事に意味自体がそもそもない)。

うん、スピードはそれなりにでてきている。タイピングは楽しい。

 

ところで息苦しい。5時にチェックインして初めてホテルに入り、昼寝を試みたときにも思ったが、息を吸いづらい。首都圏は緑が少なく排気ガスが多くて空気が汚く、ただでさえ息苦しいけれど、ホテル部屋内はその息苦しさを遥かに凌いでいる。なんでだろう。花粉か?とも思ったが、だとすれば外出時にも息苦しさは感じたはずである。ちなみに、ショッピングモールのレストラン密集地帯でも息苦しさは感じた。なんでだろう。ホテルで息苦しいのは寝る都合上致命的だ。この息苦しさは寝られないとまで言える。なぜ息苦しい。タバコの汚れが残っている? にしても自分の体は敏感すぎないか。最近の私の体の不調や敏感化はいったいどうしたのだろう。生き辛いことこの上ない。僕は全国の受験生に声を大にして伝えたい。健康なことはそれだけで財産だ、と。(おじさんくさい言葉なのは本人が1番理解している、と思う)

 

書き始めてから1時間くらいがたった。葛西紀明を見るためにテレビをつけっぱなしにしていたのだが、ブログ執筆に集中しすぎたあまり完全に見逃した。小林陵侑の滑り直後に意識がテレビに戻った。まぁ、集中できたのはいいことだ。

現在テレビでは「アリラン」のアレンジをBGMにオリンピック放送がやっている。2年後には「ふるさと」のアレンジがBGMに流れるのだろうか。東京オリンピック、あっという間にくるのだろう。それまでに自分は何ができるか。大学受験は長い人生において単なる1つのイベントであり、大学受験を人生を決するイベントにするかどうかは自分にかかっている。大学受験にどう望もうと2週間後に僕は高校生でなくなる。一ヶ月半後には大学生(か無職)になっている。半年後には18歳が終了する。これらはすべて否応なくやってくる。避けられない。さらぬさだめである。この時の流れの中で、自分は何ができるか。何ができたら自分は満足できるのか。できるかぎり全力で人生に向き合いたい。人生は短い。無意識にレールには乗りたくない。意識的にレールに乗るか、want to get out of the rail of life on purpose. (I have no confidence about grammar) (The reason why I began to write this in English suddenly is something wrong with my keyboard.)

Probably わあいきなり日本語で書けるようになったーーー it`s time to quit writingって書こうと思ったのにこのタイミングで戻ったーーー神様がまだ書き続けろと行っているのだろうかーーー

しかしまあもうすぐ11時になってしまうわけだ。睡眠不足はちょっとあるわけだ。寝るべきなのだ。過去問演習を全く満足にできていないが、寝るのが最優先事項だろう。明日、試験前までの時間を有効に使おう。数学のセンスと構想の想起能力を刺激しよう。刺激してね、自分。

 

さて、スマホで音楽流して歌ってから寝るとしようか。